ティックトック太郎
— 🐾KHC (@we_can_panic) 2019年7月7日
予約投稿を設定するのを忘れていた。
忘れたことは案外そのすぐ後に判明するものである(または、そうバイアスがかかっている)が、しかし予約投稿の意味は日記をその日のうちに投稿するというのが大きいので、これはこれで、予約投稿の恩恵に預かれたと言える(思える)。
「機械に使われる」という皮肉を耳にすることがある。 機械というのは人間が使うために生み出したのに、かえってそれに振り回されているのは本末転倒だ、という要旨の皮肉だ。 KHCは機械が大好きなので、これに対する反論を書いてみよう。
まず、我々が機械に使われるとはどのようなものがあるか。
例えば、目覚まし時計により毎日決められた時間に起きるように調教されるというものや、Pokemon GOを代表とするゲームに時間を取られて日々の生活が支配されるというものがある。
しかし、これらは他ならぬ我々が望んでいるものである。 目覚まし時計を使うのは決まった時間に起きたいからだし、ゲームは我々がハマってしまうほどの面白さを求めてプレーするものだ。
傍から見ると支配されているように見えるものだが、その人の中ではメリットとデメリットを比較検討した結果であり、もしデメリットの方を重視するのならその人はいつでもその支配から抜け出せる。
もしこれを「使われる」というのなら、人間の本能などはどうなるのか。 ゲームみたいに、やめたくなったらいつでもやめるというようなことはできないし、何より本能を満たそうとする姿は、機械を行動の基準にしている姿以上に支配に近い。
当初の文言に則って、冒頭の皮肉にコメントを返すなら、「機械程度にだったら、いくら使われようが気にしてない」としようか。