KHCの

KHC( https://twitter.com/we_can_panic )が140字を超えるツイートをするところ


連休が終わる。

何書こうかな。今日は星乃珈琲に行ってパフェを食べました。 人生で初めてのパフェだけど美味しかった。 KHCはパフェに対して、ちょっと盛り付けが工夫してあるスイーツというふうな認識しかしてなかったが、しかしパフェの真髄は見た目ではなかった。イチゴの上にかける練乳と混じったバニラアイスの甘さや、溶けたチョコアイスが絡んだナタデココの風味など、周囲の食材とのコラボレーションがパフェの醍醐味である。食べ始めは冷たさや甘さがメインに構成されながら、終盤はさっぱりと食後に残らない後味で締めるという組み合わせも、それぞれの菓子の良さを残しつつ一つ一つが「パフェ」という菓子のイデアを現しているかのようだった。 ただやっていることは各食材の配置なので、製作難易度の割には作る人による味の良し悪し(というかセンス)が出そうな料理。おそらく地雷も多くあることだろう。 ある分野に疎いうちは、スタンダードに則るというのがいちばん良い選択であるが、しかし身近であるため自分がその分野に疎いという自覚を持てずに最初から自己流に突き進んでしまう。ファッションしかり料理しかり。 割とどんな人にも上記の傾向は見られるので、見かけたら積極的にマウントを取っていきたい。 おわり。

KHC、食品レビュー


さて。

今日は睡眠時間を多く取った。 昨日と一昨日のテニスによる疲労が多く出た形だ。明日からは普通の生活に戻れることを期待。

コンビニに行ってクリアコーラを飲んだ。 ライムのフレーバーがついていたがKHCはそれほどライムを好いていないので、むしろ興味を惹かれたのは、コーラの味を添加物のみで作り出せるのかという点である。 結果としては、やはり普通のコーラのほうが美味い。 我々がコーラに求めている最低限の条件は揃っているが、しかしコーラとは似て非なる飲料である。高周波成分が十分に取れていない画像のような味だった。 ライムのフレーバーもおそらくクリアコーラだけでは味が作れなかったのだろう、クリアコーラとは割とマッチしていた。 ライムが好きな方は飲むモチベーションがあるのではないだろうか。他のテイストのコーラと比べると美味しい方だと思う。

まだ途絶えない


寝る前に日記を書いてないことに気付いた。 あっぶねー。

https://go-tour-jp.appspot.com/welcome/1

今日はGo言語を学んだ。 いつもPythonしか書かないから、型の宣言やスライスのところで難航。やはり新しいことを始めるのはいい頭の体操になる。

Pythonと比べたGoのいいところは、関数の入出力が最初に定義できるところかな。for文とかif文の書式も、慣れたらシンプルですごくいい。Pythonと同じように評価式の()が無いのも個人的には高評価。

ところでGoを学んでいるときに寝落ちしたのだが、起きたときは寝る前よりスラスラGoを書けるようになっていた。 いわゆる睡眠学習というやつだろうか。見聞きした情報を脳内に浸透させる処理が、睡眠中に行われているに違いない。 プログラム的に表現すれば、睡眠中に情報がコンパイルされている、ということだろう。 その関係で言えば、勉強中に眠くなるのも脳の処理容量をオーバーしたからかな。まだ我々の脳は、現代の情報社会に対応できるように進化しきれていない。

大学生っぽいこも


課題をやっていたらこんな時間に。 まだ日記は途切れていない(少なくともKHCはそう判断している)。

回路を設計・制作する授業があった。

KHCは制作段階へ入る前までに回路の一部を設計することができず、この授業には少し憂鬱な気持ちを持って臨んでいた。 結果から言えば、制作中に先生から回路の設計を教えて貰い、無事回路を組み上げ波形を測定することができたのだが。(言い訳をさせてもらうと、設計できていなかったのはKHCだけでなく、クラスの大多数だった。それを見かねた先生が黒板に回路を板書してくれたのだ。)

事前の印象と実際の感想が違うことはままある。 会社や学校に行くのを憂鬱に感じていても、実際行ってみると思っていたほど面倒だったりきつかったりはしない、というようなことだ。

この印象と現実のずれはなかなか矯正されない。 最初に最悪を想定しておくという安全側の思考が働いているのか、単に負の印象が強く残っているのか。

前者であるなら本能のようなもので矯正することは困難を極めるが、後者であるならば比較的簡単に修正が可能だろう。ある行為に対して何かしら印象を感じたら、それは正しい評価なのか検討するようにすればよい。

ただし、その前に印象と現実がずれるのは治さなければいけないものなのか、正しい評価を検討するコストとパフォーマンスはどうなのか、ということを検討する必要がある。


予約投稿を設定するのを忘れていた。

忘れたことは案外そのすぐ後に判明するものである(または、そうバイアスがかかっている)が、しかし予約投稿の意味は日記をその日のうちに投稿するというのが大きいので、これはこれで、予約投稿の恩恵に預かれたと言える(思える)。

「機械に使われる」という皮肉を耳にすることがある。 機械というのは人間が使うために生み出したのに、かえってそれに振り回されているのは本末転倒だ、という要旨の皮肉だ。 KHCは機械が大好きなので、これに対する反論を書いてみよう。

まず、我々が機械に使われるとはどのようなものがあるか。

例えば、目覚まし時計により毎日決められた時間に起きるように調教されるというものや、Pokemon GOを代表とするゲームに時間を取られて日々の生活が支配されるというものがある。

しかし、これらは他ならぬ我々が望んでいるものである。 目覚まし時計を使うのは決まった時間に起きたいからだし、ゲームは我々がハマってしまうほどの面白さを求めてプレーするものだ。

傍から見ると支配されているように見えるものだが、その人の中ではメリットとデメリットを比較検討した結果であり、もしデメリットの方を重視するのならその人はいつでもその支配から抜け出せる。

もしこれを「使われる」というのなら、人間の本能などはどうなるのか。 ゲームみたいに、やめたくなったらいつでもやめるというようなことはできないし、何より本能を満たそうとする姿は、機械を行動の基準にしている姿以上に支配に近い。

当初の文言に則って、冒頭の皮肉にコメントを返すなら、「機械程度にだったら、いくら使われようが気にしてない」としようか。